2024年の目標とやらないこと
写真は、9月1週間ほ…
写真は、2022年12月に旅をしていたとき神社で出会った猫(のおしり)。
例年、新年早々で意識が高いのか『今年は●●の分野を勉強する!』などと目標を掲げるもの、実際には目標として掲げる分野ではない内容を勉強している傾向が見られた。主に仕事だと思うが、その時々で学ぶ内容を選択して学習をしていった結果、年初とは想定が異なることが多く、目標との不一致が起こっていると見られる。
ただし、毎年そうだが、何らかの学習とい点でいくと、常にやっているという感じではあったので、学習目標については、目標としての精度があまりに低いので、今年は学習に関する目標を除いた。
昨年リリースをした、現在も私が単独で開発中のWebサービスを1社導入し、それを継続運用する。これは話としてまとまったわけではないのだが、導入候補となる企業が1社以上出てきているため、製品をブラッシュアップしこの話を前に進めたいと思っている。
これは今年こそやりたい。趣味の創作らしき活動として、お手製Webサービス開発、DJ、写真に続く活動のバリエーションとしても、完成までに至らずとも、とにかく音楽制作をしたいという意欲がある。
とあることがきっかけで寄付に興味を持ち、少額でも良いから、寄付を習慣化したいと思った。ここでいう寄付とは、ふるさと納税ではなくて(※ ふるさと納税は間違いなく税制上は寄付であるが、返礼品が寄付の主目的とする場合も多いためここでは除外する)、何らかの見返りを求めない、NPOなどへの寄付のことである。
以降の内容は、あくまで私の経験に基づく評価であり、業界一般の評価として発信している内容ではないことに注意されたい。
特定技術とは具体的には、RubyやRuby on Railsのことである。それらをこよなく愛しており、特定技術に対するリスペクトが非常に強い方々とは、ここ数年で実際にわりかし密に連携をし仕事をした。その経験からすると、彼らとは、技術的な議論において、対立または平行線をたどり、開発を進める上で創造的な議論をすることができず、むしろハレーションが発生することが多かった。
ところで、私自身はRubyやRuby on Railsに詳しいほうではないので、そういった場合、Ruby on Railsを得意とする方々と会話しようとする場合、共通言語としてはコンピュータサイエンスに基づくようなキーワードを持ってして、会話をする他ないと思っている。
しかし困ったことに、私が関わってきたRuby on Railsをこよなく愛する方々でいくと、コンピュータサイエンスの話をすると、内容そのものが通じなかったり、『そこまで考える必要はあるのか?』と言われ、それ以上の会話が進まないなど、そもそも技術的な議論が成立しないケースがほとんどであった(技術的な議論のうち6, 7割ほどはそのような具合であったように思う)。それでいて、会話として成立はしていないのだが、その中でご自身の考えを強く主張されたりすることがよくあったので、これはもうコミュニケーションとして破綻でしかない、と彼らと働いていて感じることが多かった。
では、コンピュータサイエンスまでいかない、例えばコーディングの話ではどうかという話をする。静的型付け言語の環境で、彼らとしては厳格な型がないこと、関数のI/Oが不明な実装を推奨をしていたこともあった。また、ソフトウェアのデザインパターンに則った実装(珍しいパターンではなく、ありがちなObserverパターン)をしたたとところ、『あなたの実装は特殊でおかしい』と指摘の上、せっかく私が書いたコードを、彼らの独特な前述したような状態(静的型付け言語で型定義があいまい、など)のコードに書き直したり、とコンピュータサイエンス以前の内容ですら、会話を成立させることが難しいことが多かった。
また、以降は組織の性質に起因するのかもしれないが、技術面以外の仕事全般の話として、露骨に人の仕事を阻害したりとか、人を陥れてみたりとか、私自身が対象となり、そういったことを幾度となく彼らとの仕事において経験している。過去そういったことがあったので、技術的な感性以外で、そもそも、人間としてのモラルが欠如している方々が同領域には非常に多いのではないか?、という可能性をも強く感じている。
おそらくであるが、ダニング=クルーガー効果と聞いて分かる方は話が早いと思うが、こういった方々は、自己認知の能力が極めて低いように思う。モラルの話はさておき、技術の話に戻ると、対象とする専門分野に則った話をしても、話が成り立たなかったり、話自体を拒否したりする一方で、私の主張はこうである(言い換えると、私の主張は正しい)というのなら、もはや言っていることがおかしい。これは、認知能力が欠如しているという他ないと思う。
こういった方々とは対話は最初から対話を望まないほうが、無駄な労力や時間を捻出せずに済むというのは、私の過去数年の経験から導かれた結論であり、以後はそうしていきたいと思う。一応、前述の内容について補足をするが、対話を望まないだけであって、対話を完全に拒否するというものではない。どういった方々に対しても、まず平等に対話を試みるというのは社会人が当然として持つべき姿勢である。対話はするものの、その心内は最初から対話を諦めており、常に引き際を意識して対話を行うというだけである。
プログラムを書きながらTranceを聴くのが良いですね。みなさんも聴いたほうがいいですよ、Trance。EDMよりハードトランスでしょ。
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